御祭神・従神
島津家代々の当主と
その家族が祭られています
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御祭神

島津家は、鎌倉時代のはじめである文治元年(1185)から、明治2年(1869)の版籍奉還まで、約700年にわたり南九州を治めた武将の家系です。鶴嶺神社は、島津家歴代当主とその家族を奉祀するために、明治2年に創建されました。最初は鹿児島市内坂元町山下鶴嶺(現在、同市照国町の島津斉彬公銅像の地)に建ち、明治6年(1873)県社に列せられています。大正6年(1917)、島津家30代忠重によって、現在地に遷座、御社殿が造営されました。昭和10年(1935)、天皇陛下の地方行幸の際に幣帛料を賜っています。御祭神の中には、武勇・善政で名高い当主や、美しく聡明であった姫君(持明院様)が名を連ねることから、広く崇敬を集め、現在に至ります。 奥にある御本殿は流造ながれづくり、手前側拝殿は入母屋造いりもやづくりで、鳥居は神明しんめい鳥居です。
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島津家歴代当主

鎌倉時代
1179-1227
初代
島津忠久
1202-1272
二代
島津忠時
1225-1284
三代
島津久経
1251-1325
四代
島津忠宗
1269-1363
五代
島津貞久
室町時代
1325-1375
六代
島津師久
1328-1397
六代
島津氏久
1347-1407
七代
島津伊久
1363-1411
七代
島津元久
1375-1425
八代
島津久豊
1403-1470
九代
島津忠国
1432-1474
十代
島津立久
1463-1508
十一代
島津忠昌
1489-1515
十二代
島津忠治
1497-1519
十三代
島津忠隆
1503-1573
十四代
島津勝久
1514-1571
十五代
島津貴久
1533-1611
十六代
島津義久
安土桃山時代
1535-1619
十七代
島津義弘
1576-1638
十八代
島津家久
江戸時代
1616-1694
十九代
島津光久
1650-1704
二十代
島津綱貴
1675-1747
二十一代
島津吉貴
1701-1760
二十二代
島津継豊
1728-1749
二十三代
島津宗信
1729-1755
二十四代
島津重年
1745-1833
二十五代
島津重豪
1773-1841
二十六代
島津斉宣
1791-1859
二十七代
島津斉興
1809-1858
二十八代
島津斉彬
1840-1896
二十九代
島津忠義
近現代
1886-1968
三十代
島津忠重
1912-1996
三十一代
島津忠秀
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持明院様

持明院統
画:長野剛 尚古集成館所蔵

鶴嶺神社には、亀寿姫(=持明院様・じめさぁ)が御祭神の1人としてまつられています。女性の美と知を育み守る神様として崇められる亀寿姫は豊臣秀吉に人質としてとらわれていましたが、その秀吉が驚くほどの美貌であったといわれています。また心優しく聡明な人柄から、良妻賢母の鑑として敬われていました。鶴嶺神社には今でも、理想の女性像に近づきたいという思いを持つ女性が多く参拝に訪れます。

鶴嶺神社では亀寿姫のようになれますようにとの願いを込めた美人御守や紅御守といった授与品も御座います。参拝の際には是非、社務所へお立ち寄り下さいませ。

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従神

家老5名

鶴嶺神社には、島津図書頭忠長、鎌田出雲守政近、比志島紀伊守国貞、伊集院下野守久治、そして伊勢兵部少輔貞昌の5名の家老が従神として祀られています。

殉死者45名

鶴嶺神社には島津氏歴代藩主らへ殉死した殉死者45名(以下記載)も、祀られています。

奈良原助八満、中篠次郎左衛門政義、満留郷八左衛門忠実、井尻神カ坊、平田治部少輔純貞、入道純喜、新納式部少輔忠朝、村岡豊前、山ロ対馬、肥後権之重盛秀、武彦左衛門延為、新原藤左衛門、田尻小吉種春、吉井佐渡、市来清左衛門、赤塚吉右衛門重増、岡本讃岐、春田佐渡、染川源之丞、浜田民部左衛門経重、法印仙朝房覚霊、木脇刑部左衛門祐秀、池田六左衛門貞秀、藤井休助、入枝佐五右衛門、新納刑部少輔久治、蘭牟田縫殿助、椎原与右衛門国林、山路後藤兵衛種清、桐野治部左衛門利義、坂元番左衛門頼逸、原蔵人、折田和泉、色紙調兵衛、田中三右衛門、山本勘左衛門親匡、鬼塚三蔵、平田大久坊宗如、山田大泉坊勢弁、有川久右衛門、鎌田豊前、渡辺安房綱、寺原早介重幸、愛甲次右衛門廉宗、高山備後、谷山宮内左衛門。